天保3年(1832)甲斐村に生まれた前川定五郎翁。 当時は鈴鹿川に橋が無く雨が降ると水かさが増え、甲斐の渡し(現在の鈴鹿川) を歩く通行人の苦渋を見て、定五郎は自費で舟を買い村人を渡したり、板を並べて筏を渡したりして奉仕活動をした。
しかし、筏は大雨で流された。
その後、寄付金と私財を投じて架橋を行った。 また、何度となく役所へも出向きお願いに行った。 明治41年、定五郎の努力が実り3回目の本格的な橋が完成し、「定五郎橋」と命名された。この時、定五郎77歳。橋が完成した後も毎日橋を点検修理していたという。昭和27年5月27日、定五郎の偉徳を後世に伝えようと、定五郎の顕彰碑が鈴鹿川の堤防沿いに建てられた。
前川定五郎翁
鈴鹿川の堤防沿いに建てられている前川定五郎翁顕彰碑
鈴鹿川の堤防沿いに建てられている前川定五郎翁顕彰碑
鈴鹿川の堤防沿いに建てられている前川定五郎翁顕彰碑